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駅すぱあとアンテナ(メールマガジン)

2012年10月号








日本の鉄道発祥の地である横浜にふさわしい博物館が、今年7月10日にオープンした。その名も「原鉄道模型博物館」。世界有数の鉄道模型製作者であり、収集家でもある原信太郎(はら・のぶたろう)氏の稀少なコレクションが一般公開されている。年間目標来館者は20万人だったが、9月2日の段階で早々に10万人を突破する人気ぶりだ。さっそく足を運んでみた。

エントランスを抜けると、そこは「原模型の真髄」をテーマにした第一展示室。まず目についたのが、縮尺1/32の"一番ゲージ"と呼ばれる大型鉄道模型だ。右写真の「一号機関車」は、製作・収集した模型車両が約6000両、いまもなお93歳にして模型作りに励んでいる原氏が、小学校6年生の時に初めて作ったもの。

車輪やモーターなどは市販品を転用しつつ、ボディは家の屋根を修繕した余り板で作られている。現在の姿は、その後の改造が加わっているが、現在も走行可能とのこと。細部に至るまで、実に緻密に作られている。
原模型の真髄は、この緻密さにある。左の写真は、初期のオリエント急行の食堂車を再現したもの。木造の質感、凝った内装、模型の中の人形やテーブル上の皿に至るまで、栄華を誇った人気急行の賑わいが聞こえてきそうなほどリアルな出来栄えだ。

原氏は少年時代から国内各地に出かけ、30代の終わり頃からは世界を飛び回り、膨大な数の写真と16ミリフィルム映像を撮りためたという。これらを資料として、実物と寸分たがわないような模型が次々と生まれた。

第二展示室では、そんな原模型の数々が「力持ち機関車」「高速機関車」「各国旅列車」といったように、テーマごとにズラリと並んでいる。鉄道模型でありながら、貴重な文化を後に知らしめる芸術的工芸品の域にまで達しているといっても過言ではないだろう。
第三展示室には、原氏が収集した稀少なコレクションが並ぶ。まず目を引くのは、鉄道が開通する際、一番最初に発券される「一番切符」の数々だ。単に収集物を展示するのではなく、当時のエピソードを交えて紹介しているところがおもしろい。

東海道新幹線開通時には、開通当日売りの一番切符を入手するため「9日前から工事中の新大阪駅構内に居座りました。現場所長に一升瓶を持参しての挨拶も抜かりありません」とある。

「切符蒐集なら寝食さへ忘れる 珍しい慶應商工生」の見出しが躍った1934年の新聞記事などもあり、どれほどの情熱で鉄道を愛好していたかがわかると同時に、原氏に対する親近感も沸いてくるから不思議だ。
原氏所蔵のHOゲージ模型が敷きつけられたパサージュを抜けると、一番ゲージの蒸気・電気・トロリーの軌道が走る巨大なレイアウト「いちばんテツモパーク」が現れる。

フランスのリヨン駅をモチーフとした巨大駅舎を中心に、ロープウェイや転車台も備わった世界最大級のレイアウトだ。ミニチュアの人形が大量に散りばめられていて、ドールハウスを眺めるような楽しさもある。

一般的な鉄道模型は線路から集電しているが、リアルさを追求する原氏の模型は、架線(電線)に電気を流し、パンタグラフも機能するように作られている。
同時に、長年の研究の末、通電を切った後も車輪がそのまま回り続ける「惰力走行」も実現。さらに「本物の鉄道が鉄のレールと鉄の車輪なら、模型も本物通りにつくる」という理念だ。

一般的な模型は、加工しやすい真鍮などが使われているが、鉄を使ったことでレールの継ぎ目を通過する際に「ガタンゴトン」というリアルな走行音も実現した。

「好きこそ物の上手なれ」というが、まさにそんな鉄道愛好家人生を歩み続ける原氏。鉄道ファンならずとも、ぜひ訪れていただきたいスポットだ。

■原鉄道模型博物館
神奈川県横浜市西区高島1-1-2 横浜三井ビルディング2階
http://www.hara-mrm.com
次に訪れたのは、JR桜木町駅。

駅を降りると横浜ランドマークタワーや観覧車が目に飛び込んできて、近未来的なイメージが強い街だ。しかし同時に、明治・大正期の鉄道関連の面影が随所にあり、ノスタルジックな鉄道散歩ができるようになっている。

まずは、駅前の横浜桜木郵便局の南側へ。かなり奥まったところにひっそりと建っているのが「鉄道創業の地」と刻まれた記念碑だ。

明治5年、日本で初めてとなる鉄道が、新橋駅~横浜駅間を走った。なぜこの地に建っているかというと、初代横浜駅がここにあったからだ。

駅前には、別の記念碑も建っている。「ここに駅があった 大きな貨物駅があった」で始まる文章が刻まれた、東横浜駅の記念碑だ。
大正4年、貨物駅として誕生した東横浜駅は、現在の横浜赤レンガ倉庫の近くに存在していた横浜港駅と臨港鉄道として結ばれていた。

現在、そのルートは風光明媚な遊歩道「汽車道」として整備されている。さっそく汽車道を辿ってみると、まずは運河を渡る港一号橋梁が現れる。この橋は明治40年にアメリカ・ブリッジ・カンパニーで製作され、2年後の明治42年に鉄道院によって架けられた。100年前に生まれた橋は、歩きやすいウッドデッキの遊歩道となり、2本の線路が埋め込まれている。これもまた"汽車道"らしい演出だ。
そのまま横浜赤レンガ倉庫まで歩くと、敷地の隅にひっそりと遺されている旧横浜港駅プラットホームが目につく。明治44年に横浜税関構内の荷扱所として誕生し、大正時代になって「横浜港駅」と命名されるに至った。東京駅から汽船連絡列車もやってくるようになり、"岸壁列車"の愛称でも呼ばれていたとか。

プラットホームができたのは昭和3年のことで、以降は華やかなりし海外航路時代が最盛期を迎える。戦後は昭和32年に再開。昭和34年には宝塚歌劇団一行が、氷川丸にてカナダ、アメリカ公演に出港、プラットホーム周辺は5千人の見送りで賑わったそうだ。現在は、休憩所として保存再利用されている。
赤レンガ倉庫から山下公園方面へ向かうと、そこは象の鼻地区。象の鼻のような形をした堤防があることからその名がつき、現在は憩いの場「象の鼻パーク」となっている。その整備工事中に、交通の歴史を物語る遺構が発見された。それが鉄軌道と4連の転車台(ターンテーブル)だ。

これらは明治20年代後半に整備され、敷地内で荷役作業を行うために設けられたものであると考えられている。関東大震災の被害に遭って瓦礫に埋まり、その後は倉庫が建てられていたそうだが、再開発をきっかけに日の目をみたというわけだ。

桜木町駅から小一時間ほどの散歩で、さまざまな鉄道の面影に触れることができる汽車道散歩。ぜひ秋の休日に出かけてみてはいかがだろう。


次回2012年11月号は、2012年10月31日(水)配信予定です。お楽しみに!
「駅すぱあとアンテナ」2012年10月号
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発行  株式会社ヴァル研究所 http://www.val.co.jp/
発行日 2012年9月26日(水)
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