平安時代、貴族や文化人達が花鳥風月を愛で、歌を詠む行楽の地として名を馳せていた京都・嵯峨野。当時の嵯峨天皇は、この地に離宮を建てた。その後、嵯峨天皇の長女・正子内親王の命によって離宮は寺院「大覚寺(だいかくじ)」となった。鎌倉時代になると、ここで後嵯峨上皇、後宇多法皇らが院政を行ったことから「嵯峨御所」とも呼ばれている。
およそ10万平方メートルの敷地に、不動明王を中心とする五大明王が安置されている本堂、御霊殿、心経殿などが点在する。本堂の東面には広い濡れ縁があり、その先に広がっているのが周囲約1キロメートルに及ぶ大沢池だ。林や泉水などのある庭園を「林泉」と呼ぶが、この大沢池は日本最古の林泉。中国の洞庭湖を模して造られており、奈良公園の猿沢池、滋賀県大津市の石山寺とともに日本三大名月観賞地として知られている。
嵯峨天皇は池に舟を浮かべ、貴族や文化人達と月を愛でた。周囲には茶の湯を楽しめる「望雲亭」や石仏、朱塗りの姿が美しい心経宝塔などがあり、池のほとりを歩くだけで平安時代から脈々と息づいている「風流」を楽しむことができる。 |