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木村裕子の鉄道いろはがるた!

第9回 「り」の巻

木村裕子
裕子 : 今月は「り」の札を決めたいと思います!
り、り、りんご!
編集部(以下、編) : ・・・ご、ごりら!ってそれじゃあヒネリのないしりとりじゃないですか。
マジメにいきましょう。
裕子 : マジメに「り」を考えると・・・両親!
編 : そこまで一気に真面目にならなくてもいいですよ(笑)
裕子 :両親かぁ・・・(遠い目)
編 : おっ、今ちょっとアンニュイな表情をしましたね。
何か思うところがあるんですか?芸能界のお仕事を反対されているとか・・・
裕子 : いえ、もう全面的に応援してくれてますけど、最初は反対されましたね。
ウチはすんごい厳しい家庭だったんですよ。
高校卒業するまで、門限が夕方の5時半でしたから。
編 :それは厳しい!別に夜更かしして悪さするわけじゃなく、
友達とファミレスやファーストフードで喋ったりしてても、
そのくらいの時間は過ぎちゃいますよね。
裕子 :一回だけ5時32分くらいに帰宅したことがあったんですけど、猛烈に怒られましたよ。
当時流行っていたルーズソックスを履くのもダメだし、マニキュアもダメ。
就職先ももちろん硬いところじゃないと・・・ということで最初は一般企業に入社してシ
ステムエンジニアをやっていたんです。
編 : なるほど。でも芸能界への想いは消えていなかった、と。
裕子 : 当時の私の中で、なぜか「100万円貯めたら、一人暮らしできる!」という思い込みが
あったんですよ。それで頑張って100万円貯まったら、会社に辞表出して、
家出同然で1年以上ひとり暮らししてました。
編 : すごい行動力ですねぇ。
裕子 : で、結局上手くいかずに、頭下げてまた実家に戻って、
電車の車内販売員のお仕事に就いたんですよ。
編 : その時に、鉄道好きが再燃して「鉄道アイドル」の
道が開けて、
今のスタイルができたわけですね。
裕子 : そうです!最初はフリーランスでやっていたんですけど、ありがたいことにお仕事が
増え始めて、それでやっと両親に認めてもらえるようになった、と。
編 : 人に歴史あり、ですね~。今となってはご両親、
木村さんのイベントとかにも来られたりするんですか?
裕子 : 来てくれますけど、実家に帰ったらイベントの写メールを見せられて、
それで「あ、来てたなら言ってよ」って初めて来てたことに気づくという(笑)。
編 : シャイですね(笑)。
裕子 : でも今になっても、実家に戻っている時に帰りが11時を過ぎると
「今どこにいるの?」って電話が来るんですよ。
編 : 箱入り娘だ!
裕子 : あと3年で三十路突入なんですけど「いや、まだ結婚は早い」って
お父さんに言われますよ。一体いつになったら適齢期になるのよ!って(笑)
編 : たしかに早くはないと思います(笑)。では今回は、鉄道アイドルとして
ご両親にも認められた木村さんの想いを、かるたにしてみましょう。

編 : これは・・・電車の先頭部につけるヘッドマークですか?
裕子 : そうです!以前、秋田内陸線で列車の貸切イベントをしたときに作ったんですよ。
編 : 思ったより大きいんですね~。それに一人で持てるなんて、どんな力持ちなんですか!
裕子 : 一般的には鉄製ですけど、これは木製なんですよ。
大きさも
列車によって違ってきますね。能勢電鉄は秋田と同じサイズでしたけど、
阪堺電車での貸切イベントの時にはもっと小さかったので、
イベント後に持って帰って今は自宅に飾ってますよ。
編 : 自分が電車のヘッドマークになる、っていうのは、鉄道アイドル冥利につきますね~。
確かに、このヘッドマークをつけて走る電車、ご両親に見てもらいたいですよね。
裕子 : そう!以前、私は「橘頼香(たちばならいか)」という名前でも活動してたんですけど、
両親はその名前が嫌だったみたいで。
このヘッドマークは「木村裕子」と本名が入ってますし、見せたいですね。
編 : 「ついにお前もヘッドマークになるような人間になったか」って認めてくれそう。
あんまり一般的な認め方じゃないですけどね(笑)
裕子 : でも人間、ひとつ達成したら次を目指したいじゃないですか。
今度は車両全部が木村裕子一色の「ラッピング」を
実現できればなーと思ってるんですよ!
編 : 前人未到の鉄道アイドルの道、まだまだ続きますね!
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