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駅弁ひとり旅・こぼれ話

第47話

かにめし

夕月 : 大介さん、読者の皆さん、はじめまして。私、今週から「漫画アクション編集部」に配属されました新入社員の夕月麗華で~す。よろしくお願いいたしま~す。

アッワッワ、夕月麗華さんって、素敵な名前だけど、もしかして芸名? 宝塚出身?

夕月 : いいえ、本名で~す。出身は札幌で~す。22歳で~す。
大介 : あー、びっくりした。スタイル抜群じゃん、八頭身美人じゃん、てっきり宝塚歌劇出身かと思ったよ。北海道出身か、だったら長万部知ってるよね。「オシャマンベ!」
夕月 : 長万部は知ってますけど、何ですか? 今の「オシャマンベ!」って?
大介 : 由利徹のナンセンス・ギャグ「オシャマンベ!」って、知らないの?
夕月 : 知りません。でも昔、町内演芸大会で、おじさんが酔っぱらって連発してたような。あのー、大介さん、「オシャマンベ!」って、知らないとまずいですか?
大介 : タハハ、「オシャマンベ!」は知らなくていいけど、長万部は重要だよ。なんたって、「かにめし」発祥の駅だから。
夕月 : 「かにめし」発祥の駅ですか。それはすごい! 今や全国的に「かにめし」の駅弁は結構ありますよね。その元祖ってわけですね。
大介 : そーなんだ。長万部に鉄道が開通したのは明治36年のこと。そして「かにめし」の創業者、金谷勝次郎さんが長万部駅で駅弁を売り出したのが昭和3年のこと。
夕月 : へー、そのころから長万部はカニで有名だったんですね。
大介 : いや違うんだ。昭和3年当時は、いわゆる普通のお弁当だったそうだよ。それから、長万部って、アイヌ語が語源だけど、諸説あってね、「シャマンペ」は魚の カレイのこと。昔はカレイがたくさんとれたという説もあるんだよ。ところが、終戦直後のこと。食料難の時代で米も配給制で、駅弁屋とはいえ駅弁が作れな かったんだ。ちょうどそのころ、長万部で大量の毛ガニが獲れてね、勝次郎さんは、それを塩茹でにして新聞紙に包んでホームで販売したのさ。皆、お腹空かせ てた時代だけに、飛ぶように売れたそうだよ。
夕月 : それが、長万部の「かにめし」に発展するわけですね。
大介 : ピンポーン! でもね、大変な苦労があったそうだよ。毛ガニの旬は夏から秋にかけてで1年中販売することはできない。そこで、50以上の試作品を作り、試 行錯誤の末に完成したのが、昭和25年発売の「かにめし」。その努力の甲斐あって、「全国有名駅弁大会」でも、優勝したんだよ。
夕月 : それで、「オシャマンベ!」に「かにめし!」アリなんですね。あら、わたくし、いま、「オシャマンベ!」って言いましたかしら……おほほ!